ドラマや映画でも大活躍中の女優門脇麦さん。
一見地味そうな外見ですが、これまでには波乱万丈な人生のジェットコースタを乗り切ってきています。
- 門脇麦の幼少期は?
- 暗黒3年間とは?
など、今回は門脇麦さんの生い立ちについて紹介します。
目次
門脇麦の生い立ちが波乱万丈!

- 名前:門脇 麦(かどわき むぎ)
- 誕生日:1992年8月10日
- 年齢:27歳(2021年2月時点)
- 出生地:アメリカ合衆国 ニューヨーク
- 出身地:東京
- 特技:クラシックバレエ・英語
- 所属事務所:ユマニテ
ドラマや映画で大活躍中の門脇麦さん。
ミステリアスな雰囲気や、素朴な印象を持ち合わせていて、今やテレビでも見る機会がかなり増えましたね。
2020年には、『演技が上手いと思う若手女優』ランキングにも上位の5位でランクイン入り。
参照:パイアップル社
2020年にはNHK代がドラマ『麒麟がくる』や、朝の小説ドラマ『エール』にも出演。

2021年現在脚光を浴びる女優として活躍中です。
これまでの人気女優になったのは、幼少期から現在までの壮絶な人生を歩まれた経験からのものです。
まさに、童話の「白鳥の湖」のような、門脇麦さんのシンデレラストーリーともいえるこれまでの生い立ちをまとめてみました。
バレリーナ挫折の暗黒時代から人気女優になるまでがまさに「白鳥の湖」
帰国子女いじめを受けた幼少期
赤ちゃんの頃から4歳くらいまでアメリカのニューヨークに住んでいた門田麦さん。

「門田麦」という名前は本名の様で、
まっすぐ伸びるように、踏まれても負けない強さを持つように
との思いで付けられた名前のようです。
小さい頃は自分の名前が気に入らなかったとのこと。

言葉の吸収が盛んといわれる幼少期にアメリカに住んでいたことで、今でも日常会話の英語はペラペラのようです。

その実力ですが、映画「KOKORO」で英語のセリフをしゃべっている動画がありました。
ヴァンニャ・ダルカンタラ 監督
KOKOROフランスと日本が舞台の海外の映画。
亡くなった弟が生きる意味を見つけた日本の自殺の名所にやってくる話。日本人からするとツッコミどころがあるシーンもあったけど、凄い映像美で新鮮でした。
女子高生役の門脇麦さんはさすが英語が自然やった。 pic.twitter.com/XMa87Kod3X
— みつば☘️ (@mitsu_va) March 17, 2019
とても流暢な英語ですよね。
バレエ少女の幼少期
4歳からクラシックバレエを習っていて、将来はプロのバレリーナを目指していました。
子供のころは「友達の家に遊びに行った覚えもない」というくらいにバレエ漬けだったという門脇。
引用:クランクイン
不思議な力を持っていた
小学生時代の門脇麦さんは予知能力の様な不思議な力を持っていたようです。
と、すこし怖い能力のようにも思えますね。
今でもミステリアスな印象も人気な門脇麦さんですが、幼少期からそのパワーを発揮していたようですね。
おてんばな小学生時代
「戦隊ヒーロー」が好きだったという小学生時代の門脇麦さん。
戦隊ヒーローがすごく好きで、変身ベルトをいつも学校でもつけていて、側転の練習をしたりしていました。「何かきたら私が戦う!」という意思を持っていたんですよね。
引用:チェリー
また、ビー玉を常に持っていて、ビー玉をしょっちゅうのぞき込んでいたという女の子らしい一面もあったようです。
ビー玉は常に持っていて、ビー玉をかざすと、その中に楽しい思い出が全てつめられると思っていました。だから例えば動物園に行って楽しいと、動物に対してビー玉をかざして、家に帰ってから握るんです。そうすると、その楽しい思い出が見えてくる……まあ、思い出してるだけなんですけどね(笑)。
引用:チェリー
挫折を経験した中学時代
門田麦さんは東京都の桐朋女子中学を卒業しています。

1941年開校の市立中学で、音楽科が名門として知られています。
4歳の頃から習い始めたというクラシックバレエを10年以上続け、中学時代もバレエに打ち込む日々を過ごします。

中学時代は学校帰りにそのままバレエ教室へ通い、練習が終わって帰宅するとテレビも見ないほど頭の中はバレエでいっぱいだったそうです。
しかし、中学2年生の時に転機が訪れます。
周りに人達がコンクールに出場しだして、次第についていけなくなり、バレエの実力に限界を感じ始めた門脇麦さん。
と、バレエをやめる決断をします。
私はバレリーナになる気満々で、小学生の頃は放課後に友だちと遊んだことがないくらい本気でバレエをやってきたけれど、(限界を感じて)中学校2年生のときにやめました。そして、やめた瞬間に空っぽになってしまったんです……。
引用:ORICONNEWS
それまで抱いていた「夢はあきらめなければかなう」という考えは捨て、現実施行に立ち返たといいます。
バレエをやめた時には大泣きし、
- 長くのばしていた髪の毛をばっさり切る
- トウ・シューズやレオタードを捨てる
など、バレエに関するものを全て捨てて未練を断ち切ったといいます。
当時の心境として、
逃げてしまった
とう思いを持っていた門脇麦さん。
バレエをやめたときに、逃げた感覚といいますか、挫折感がどうしても拭えなくて、バレエの友だちとも恥ずかしくて会えないような時期がありました。
引用:ORICONNEWS
自分への嫌悪感で人生で最もつらかった時期だったようです。
人生の転機となった高校時代
門田麦さんは、出身地である東京都の狛江高校を卒業しています。

1972年開校の都立高校で、ダンス部が強豪として知られています。
バレエをやめ、特に打ち込むことがなくなった高校時代。

過去のインタビューで、高校時代を「暗黒の3年間」と呼んでいます。
高校時代は将来何になりたいか分からず、将来のビジョンに対して悩んでいた時期ですね。
- 歌
- ジャズダンス
- ヒップホップダンス
などをやってみたけれど興味が持てなかったようです。
次第に人と関わることを拒むようになり、高校時代はクラスで浮いた存在になっていたとのこと。
家でも内弁慶ぶりがすごく、人とのコミュニケーションがつらかった経験を話されています。
思春期の頃は、家での内弁慶ぶりが凄かった。学校では人間関係をうまく構築できなくなっちゃって、友達と一緒にいるだけで気を使ってぜいぜいしてぐったり疲れていました。
引用:numero
次第に部屋にこもって悩んむばかりの生活を送るようになります。
しかし、これが人生の転機となります。
部屋で映画を見ることが多くなり、
「表現すること」
に興味があると気付きます。
たまたま邦画を観始めるようになり、同年代の宮崎あおいさんが主演した映画
と思い事務所に履歴書を送ったのが、のちに芸能界デビューへのきっかけになります。
当時の心境を以下のように述べている門脇麦さん。
「でも、その(悩んでばかりの)3年間がなければ今の自分はいないので、暗黒だったけれど、今思うと必要な時間だったし、その状況を(今になってみると)不思議だなとも思います」
引用:引用:ORICONNEWS
- 「早く何者かになりたい」という焦り
- 「映画が好き」という気持ち
が重なって今の事務所とも出会え、女優の道を歩み始めることとなります。
高校卒業後
高校卒業後は女優としての下積み時代からスタート。
当時放送されていた、東京ガス「ガスの仮面」でCM主演デビューを果たしています。
CM内では、門脇麦さんが挫折してしまったというバレリーナ役として出演。
貴重なバレリーナ姿で踊っている姿が披露されています。


年齢を重ねてどんどん深みが増す女優さんという感じがします。
これからの活躍を期待したいです。