2018年7月18日に自宅マンションで亡くなられた三浦春馬さん。
自殺の報じられており、遺書と思われる手帳が見つかっています。
【遺書内容】三浦春馬は手帳でSOSを出していた?死の兆候があった内容とは?
というタイトルでまとめてみました。
目次
【遺書内容】三浦春馬は手帳でSOSを出していた?
三浦さんの死去のニュースは世間に衝撃を与えました。
三浦さんは東京・港区にある自宅のクローゼットで首を吊った状態で見つかり、その後、搬送先の病院で死亡が確認された。捜査関係者によると、「自宅からは『死にたい』と書かれた日記が見つかっている。自殺とみて捜査を進めている」
引用:文集オンライン
死因が自殺であったとされていることより、その遺書内容に注目が集まっています。
捜査関係者や、マスコミによると、その手帳には以前から自殺を考えていたようなことや、苦しんでいたこと、鬱状態で悩んでいた様子が書き綴られていたそうです。
各メディアが報じている手帳内容をまとめてみました。
文集オンライン
8月15日に放送予定のドラマ「太陽の子」(NHK)における役柄に強く影響された様子も記されていたという。
「(同ドラマは)太平洋戦争の末期、原子爆弾開発を命じられた科学者たちの悲劇の物語で、春馬が演じるのは、肺の療養のため戦地から帰郷した石村裕之役。日記には石村の人生を通じて、死に関する思索がQ&A形式で記されていた」(同前)三浦は戦時中を生きた石村と自身を重ね合わせ、共通点を見出していた。「作中の石村は、神風特攻隊として敵方の空母艦に突っ込む命令が下るのを待っていました。仲間が先立っていく光景を目の当たりにする中、作戦が変更になり、戦地から一時帰郷。結果的に自分の命の時間が引き延ばされたわけですが、それに対して春馬は遺書で『散る運命を背負いながら、家族の前では気丈に振る舞おうとする気持ちを考え、胸が痛んだ』と切実な想いを書き綴っていた」
引用:文集オンラン
デイリー
「死にたい」などとつづられ、遺書のようなものとして三浦さんの部屋で発見された手帳に、自身の「死生観」や、「死」に関する記述があったことを同日、TBSが報じた。手帳には日記のような形で仕事の悩みなどがつづられていた。中には自身の「死生観」も書かれ、最後のページには「死」に関する記述もあったという。ただ、日付の記載がないことから、いつ書かれたかは分かっていないという。
TOCANA
その中身もネガティブなワードを羅列したり、 仕事に対する悩みを延々殴り書いたり、 一緒に飲んだ人からこんなことを言われたけど、 自分はこう思うと哲学者のように書いてあったり、 かなり意味深な内容だったそうです。輪廻転生的な話など、スピリチュアルな記述もあったそうです」と明かす。
引用:TOCANA
niftyニュース
死への願望は、約5年前、実母と絶縁した後、3年ほど前から目覚めたようで、その際には<当時は鬱状態から抜けられなかった。どう死のうかと考えていた>。2018年には、20年ぶりに母と別れていた実父と再会を果たすのだが、その際にはこうつづられている。
<自分は死のうと思っていた。でも、なぜか会ってみようと思った>
<母と離婚した理由を教えてくれた>
<実父との再会が人生を見つめ直し、自分と向き合うきっかけを教えてくれた>……。
引用:niftyニュース
格メディアがいくつもの三浦春馬さんの手帳内容を公表していますが、実際には事実の半分程度とのことです。
読んだ人たちを自殺に誘引する危険性があるとのことでWHOのガイドラインに沿って掲載を自粛しているからのようです。
【遺書内容】俳優への感謝の言葉
見つかった遺書と思われる手帳には、親交のあった人物の名前が指名して書かれており、当時感じたうれしかった言葉や思い出が記されていたようです。
三浦さんは自宅マンションで亡くなり、部屋にあった遺書には「死」を予感させるワードに加え、複数の役者仲間の名前が記されていたという。
「悪口などではなく、その俳優から仕事や人生観についてこんなアドバイスをもらったという内容が書かれていた。メモは分厚いノートにびっしり書かれていて、感情のまま書き殴っている箇所もあれば、理路整然と物事を記しているページもあった。
ノートを見た捜査員の1人は『本当に真面目。そして苦しんでいた』と涙ぐんでいたそうだ」(警察関係者)
俳優仲間への感謝も綴っていた三浦春馬さん。
まじめや忠実な性格の様子が手帳の内容でも伝わってくる感じがします。
【遺書内容】三浦春馬の死の兆候があった内容とは?
文集オンラインや、TOCANAなどでは鬱状態の様子も掲載しています。
数年前から精神的な葛藤に苛まれていたことが分かる、次のような記述もあった。
〈僕の人間性を全否定するような出来事があり、たちまち鬱状態に陥り、自暴自棄になった〉
三浦さんはイギリスに短期留学をした2018年前後から自らの死について考えるようになり「“死にたい”と思っていることを悟られないためにウソの笑顔をつくることが苦痛だった」
テレビの前では何も思い悩んでいる様子はなく明るく見えてた三浦さんですが、心の中ではSOSを出していたんですね。
三浦さんが鬱状態になってしまった原因とはいったい何だったのでしょうか。
原因についてもまとめてみました。
原因① 多忙すぎるスケジュール
三浦さんはドラマ・舞台・映画・歌手活動など、かなり売れっ子で多忙であることが鵜わされています。
一部報道では、その多忙さゆえに鬱の原因になってしまったのではないかとの声も上がっています。
4歳で子役としてデビューして以来、ドラマ『ごくせん』(日本テレビ系)や、映画『君に届け』(2010年)など、数多くの作品に出演してきた。 2009年10月からドラマ『サムライ・ハイスクール』(日本テレビ系)、2010年1月から『ブラッディ・マンデイ Season2』(TBS系)と2クール連続で主演している。 実は、その多忙な時期に、精神的に追い詰められていたことを2012年2月5日放送の『ホンネ日和』(TBS系)で語っていた。
あまりの忙しさに「自分の許容範囲を超えてしまった」と明かし、ドラマの撮影が休憩に入った際に「役者をやめて俺は農業の道に行こう」と携帯で「農業学校」の検索を始めたという。
当時は「とにかく今の状態から逃げ出したい、故郷(茨城)へ戻りたい」と思っていた。だが、このときは母親に説得されて思いとどまった。
引用:FLASH
原因② 家庭環境
三浦さんは1人っ子で、幼い時にご両親が離婚されています。
その家庭環境についても各メディアが報道してます。
近年、母子関係は悪化していったという。 「3、4年ほど前かな。春馬がぽつりと“オレ、お母さんと絶縁した。もう何年も連絡とってないよ”って漏らしたことがあってね」(同) 仲が良かった二人の間に何があったのか。某キー局のディレクターは、こんな出来事を証言する。 「春馬さんの両親は、生活が苦しいからと、息子を通さず事務所にまとまったお金を無心したり、ギャラを上乗せするようマネージャーを呼び出して、社長への口利きを頼んだとか。それを知った春馬さんは激怒。親子は絶縁したという話が流れています」
トラブルはそれだけではなかった。先の知人によれば、三浦さんの母親は長年マルチ商法まがいのハーブティーの販売に熱を上げていたが、三浦さんのブレイク後、“三浦春馬も飲んでいます”を売り文句にして、友人にネズミ講のようなことを推奨。それを知った三浦さんは、自分の名前を商売に使われたことを嘆き悲しみ、絶縁の遠因になったという。
引用:ディリー新潮
もともと家族仲は良く、問題はなかったようですが、三浦さんが俳優として人気にが出て1人で上京したあたりから関係は悪化していったようです。
原因③ SNSの誹謗中傷
遺書と思われる手帳の内容には、「僕の人間性を全否定するような出来事があり、たちまち鬱状態に陥り、自暴自棄になった」という記述があったとのことです。
三浦さんの自殺の一因として巷間伝えられているのが、 SNS上の誹謗中傷だ。東出昌大と唐田えりかの不倫騒動の際、 匿名で攻撃するネット民に対し三浦さんが苦言を呈したところ、「擁護するのか」「引退しろ」など、 反対に集中砲火を食らうハメになった。 もともとストイックで繊細な性格だけに、 それらを真に受け追い込まれたのではないかという憶測である。
引用:TOCANA
「人間性を全否定される出来事」として、SNSでの誹謗中傷が挙げらています。
しかしSNSの誹謗中傷があった以前より、手帳にはその苦しんでいた様子の心情の書き込みがあり、死亡するまでに至ってしまった直接的な原因ではなく、他にも何か要因があったのかもしれないと一部メディアでは言われているようです。
【遺書内容】三浦春馬は手帳でSOSを出していた?死の兆候があった内容とは?まとめ
三浦春馬さんが亡くなられてから時間が経過するとともに、遺書と思われる手帳内容が鮮明になってきています。
三浦春馬さんの性格について聞こえてくる評判は、マジメ、誠実、礼儀正しい、ストイック、シャイなど、その繊細な性格ゆえに思い悩んでいたのかもしれまん。





