女優として大人気の中条あやみさん。
今やテレビやドラマで引っ張りだこの人気女優ですが、その地位に至るまでには華々しいストーリーが隠されていました。
今回は『【生い立ち】中条あやみのシンデレラストーリー!わんぱく少女から人気女優転身までの生い立ちとは』というタイトルで中条あやみさんの生い立ちについてまとめてみました。
目次
【生い立ち】中条あやみのシンデレラストーリー!わんぱく少女から人気女優転身までの生い立ちとは
天使のような幼少期
中条あやみさんは、1997年2月4日に2人姉妹の次女として大阪で誕生。

中条あやみさんの本名は、「ポーリン・あやみ・中条」。
父親がイギリス人で母は大阪人という両親の間にハーフとして生まれています。
中条あやみさんも、ファーストネームのポーリンと呼ばれる方が自然に感じるとのこと。
“あやみ”は、実はミドルネームで、名前(ファーストネーム)はポーリンっていうんです。ふだんはポーリンって呼ばれているので、ホントはその方がしっくりきます。
引用:2013年6月25日発売『週刊アスキー』

小さい頃からミルクをたくさんよく飲む食欲旺盛の女の子だったようです♡
父親・ドミニクさんのズボンの中に入って「カンガルーごっこ」をしているショットも公開されており、両親に愛されて育ったのが伝わります。

父親はイギリス人のため、コミュニケーションの仕方は、
父は英語で話して、私は関西弁で返してます。それでお互い通じてます(笑)。日常会話程度のリスニングは結構できますね。
と話されていました。
中条あやみさんは、ご自身の誕生日に毎年インスタグラムで幼少期の画像を投稿されています。
こちらは1歳を迎えられた頃の中条あやみさん。

幼少期の画像を見ると、髪は元から暗めで日本人らしいものの、大きな目、はっきりとした顔立ちで、ハーフであることが分かりやすいです。


小さいころからとても活発な女の子だったようで、よく外で走り回っていたとのことです。

男の子並みにわんぱくな小学生時代
地元大阪の大阪市立阪南小学校に進学された中条あやみさん。

小学生時代には身長が160cmあったという中条あやみさん。
ランドセルのサイズが合わず、片方の肩にかけていたというエピソードもありました。
わんぱく小学生
幼少期から活発だった中条あやみさんは、幼い時から、
と男の子のように育てられたようです。

当時犬を飼っていて、一緒に山に登ったり、とにかくわんぱくでやんちゃな女の子だったようです。

- 水たまりで頭を洗い、近所の友達を追いかけまわしていた
- 男の子のように外遊びが大好きだった
- 服装もスカートは全然はかなくて基本的にパンツメイン
音楽少女だった?
一方、小さい頃から楽器の練習もしていたというギャップがある一面も持っていた中条あやみさん。

父・ドミニクさんが「バイオリン」をしていて、「娘にも教えてあげたい」と思ったのがきっかけだったそうです。
祖母からはピアノを習っていましたが、エンターテインメント情報誌『プラスアクト』によると、中条あやみさんの実家にはバイオリンやピアノだけでなくギターやフルートもあって、小さい頃から演奏していたんだそう。
ご実家にはバイオリン・ピアノ・ギター・フルートなどが置いてあり、
と述べられていました。
人生転機の中学校時代
中条あやみさんは、地元大阪の大阪市立阪南中学校に進学します。

中学校時代の中条さんの得意な科目は、英語と体育だったそうです。
体を動かすことが元々好きだった中条あやみさんはバトミントン部に3年間所属します。
協調性がないと言われた中条さんは、バトミントンはダブルスをさせてもらえず、シングルのみをしていたそうです。
習い事も、ピアノとバイオリンを継続していたようです。
2011年中学3年生 空港でスカウト
家族でグアムに旅行中の時、空港で
と声をかけられた中条あやみさん。
現在の所属事務所である「TENCARAT」の担当者からスカウトされます。
「学校の友達に自慢できるかも」という理由でオファーを受けることにした中条あやみさん。
母親にも推されてオーディションに受けることにしたそうです。


そして見事、セブンティーンモデルに選ばれます!
セブンティーンのイメージに合わせてメイクが濃い目の中条あやみさんw
当時は、「まだ入ったばかりで何も分からない」とコメントされていました。

セブンティーンに堂々とモデルとして載り、中学校3年生の終わり頃に芸能界入りを果たしました。

当時15歳ですが、とてもその年齢と思えない大人っぽい印象ですね♪

食いしん坊な高校時代
大阪府立東住吉高等学校の芸能文化科コースに進学された中条あやみさん。

既にセブンティーンモデルとして雑誌で活躍されていましたが、高校はタレントなどの育成を目的にしているわけではなく、一般の高校に進学されたようです。
私は大阪の高校に通っていて、仕事のため東京に出てきていたので、すごく大変でした。授業が受けられなかったりノートを取ることが出来なかったりという事があったんですけど、友達が自分で書いたノートを写真で取って「今日はこれだけ進んだよ」と教えてくれたり、テスト期間も手伝ってくれたり、助けられながらやっていました。先生も協力的だったので本当に恵まれていました。
引用:2019年4月24日配信「進路のミカタ」
仕事が入ると大きなトランクを持って東京まで通って仕事をしていたようですね。
エスカレーターがない場所では階段を上がり下がりするのも大変だったようで、
と振り返って話されていました。
高校時代はマドンナ的存在
2018年9月13日の週刊女性PRIMEで高校時代はマドンナ的存在だったことを追及されていた中条あやみさん。

よくそう言っていただけるんですけど、全然です!入学したとき、男子の先輩たちが”どの子?”ってクラスに見に来ることはありましたが、それも1週間くらいでなくなりました(笑)
と本人は語られていましたが、きっと学校中の噂の美女だったことは間違いないでしょうね♪
学校生活を楽しんでいた
高校時代の中条あやみさんは既に芸能活動をしていましたが、学生生活も楽しんでいた様子を話されています。

2019年4月24日の「進路のミカタ」インタビューで、「高校の思い出」について聞かれた際、
体育祭ですね。すごく気合が入っていた学校で、応援団の人たちは前日美容室に行って、髪の毛をセッティングして、寝ないでそのまま学校へ行っていました。みんなの気合の入れっぷりを見ることが楽しかったし、応援団は対抗競技があったので、すごくおもしろかったです。当時は「体育祭があるから絶対に仕事を入れないで!」とお願いしていました(笑)
と、体育祭には絶対に参加したかったと話されていました。
芸能活動だけでなく、学校行事も両立して楽しんでいたようですね。
高校時代は「食いしん坊」
食欲が旺盛で1日6食を食べていたという驚きのエピソードがありました。

- 朝ご飯を食べる
- 弁当を早弁
- 昼食を学食で食べる
- 放課後にたこ焼き
- ファミレス
- 自宅で晩御飯
育ち盛りの時期かもしれませんが、当時の中条さんは「Seventeen」のモデルも現役で務めていたので、体系が維持できたことがすごいですよね!
見た目とは違ってガッツリ系で、気持ちいいですね。
転校
時期が不明ですが、中条あやみさんは日出高校の芸能コースに転校して卒業しています。(2019年4月より目黒日本大学高校に改名)
高校時代に主演級を務めることも多くなり売れっ子になったことから、やはり大阪に在住しながらの芸能活動が困難になったことが理由だと思われます。

習い事は三味線
この頃の習い事は三味線をしていたという情報もありました。
高校の授業で三味線があり、それがきっかけで琴などの和楽器にも興味を持ったそうです。
当時、ふるさと納税のPRイベント時にそのお点前を披露していました。
父親や祖母の影響でバイオリンやピアノなどの楽器を幼い頃から弾いていた中条あやみさんは、自然と新しい楽器に興味を持ったんですね。
実際に、docomoのCMなどでも楽器と共に出演されていましたね。


高校卒業後、中条あやみさんは芸能活動にこれまで以上に集中し活躍の幅を広げていくことになります。
https://twincleblog.com/nakajo-ayami-keireki/
【生い立ち】中条あやみのシンデレラストーリー!わんぱく少女から人気女優転身までの生い立ちとはまとめ
以上、中条あやみさんの生い立ちについてまとめてみました。
幼少期から顔やスタイル抜群だった中条あやみさん。
もちろん本人にしか分からない苦労も経験されてこそだと思いますが、人気女優になるまで、とんとん拍子で華々しい経歴をお持ちの様でした。
今では、ますますメディア露出も多くなり活躍の場を広げている中条あやみさん。
今後の活躍に期待したいと思います。

